ザスパクサツ群馬 アシストパートナー就任記念特別企画
ザスパと私 第1話 (全3話)
『Jリーグに挫折して温泉で働きながら返り咲きを目指すサッカー選手たちと、就職活動に挫折して公認会計士試験にはまり込んだ京大生』
「なぜ、ザスパクサツ群馬を応援しているのですか?出身が群馬なのですか?」
そのような質問をよく受けます。私は奈良県の出身で、群馬とは何の縁もゆかりもありません。
しかし、ザスパがなければ、今の私がないこともまた事実なのです。
今回は、私とザスパの出会いについて書いてみたいと思います。
私は大学5年生で就職活動をして、とある企業に内定を得ていました。
しかし、就職活動を通して、「自分はサラリーマンとして生きていくには限界がある」という違和感を抱いていました。
周囲の大学生は、いかにもコミュニケーション能力に長け、それに比べて自分自身の協調性のなさが露呈して、ほとほと嫌になってしまいました。
「やはり、自分は組織に頼らず、手に職をつけて自力で生きていこう」
そんな思いから、内定を辞退して公認会計士になることに決め、大学卒業後に会計士試験の勉強を始めました。
公認会計士を選択したのは、以下の理由からです。
- 会計監査を通していろいろな会社を回り、ビジネスや会社のしくみを勉強できそうなこと
- 会計士試験に合格さえすれば、監査法人という大規模な会計事務所に自動的に採用され、厳しい就職活動もないこと
- 腐っても京都大学に合格したのだから、試験勉強なら余裕だろう。
しかし、現実はそれほど甘くありませんでした。
会計士試験の勉強量は膨大で、何より簿記や原価計算といった「頭で考えるな!体で覚えろ!」タイプの試験科目が中心で、私は、「鈍くさいけど、理論的にじっくり考えることが得意」なタイプの人間なので気が滅入りました。
自分はとんでもない道に踏み込んだのかもしれない。
このまま永遠に合格できず、この社会の底辺に沈んでいくのでは。。。
不安の中で、会計士試験予備校の自習室に閉じこもり、毎日朝から晩まで勉強漬けの毎日でした。
そんなある日、テレビのスポーツドキュメンタリー番組(『ZONE(現 バース・デイ)』)を見ていると、あるサッカーチームが取り上げられていました。
それが、ザスパ草津(現 ザスパクサツ群馬)だったのです!
草津にJリーグのクラブチームを持つ。
温泉街としては有名でも、草津の町自体は小さな町です。
大企業の支援があるわけでもない、小さな町のクラブチームがJリーグに昇格することなど、はっきり言って、荒唐無稽な夢物語だったはずです。
しかし、ザスパは、Jリーグを戦力外となった選手をかき集め、選手は温泉宿で働きながらJFL(Jリーグの下部組織で、JFLで上位になればJリーグに昇格できる)を戦います。
「自分たちを見限ったJリーグにもう一度返り咲く、自分のためにも、拾ってくれた地域のためにも」という思いを胸に。
なかでも、特筆すべきが元日本代表ゴールキーパーの小島選手です。
日本代表まで昇りつめた選手が、もう一度Jリーグのピッチに立とうと、自分でパンツを洗濯しながら、ボコボコのグラウンドで傷だらけになって奮闘している。
日本代表にまで昇りつめたのなら、その威光に胡坐をかいて、どこかのクラブでコーチでもやっていればいいのに、ゴールキーパーとしてピッチに立つことに拘る。
「このおっさん、アホやなあ。しかし、かっこええ。」
そんな「負け犬の寄せ集め」であるザスパが、JFLで年間3位に入り、なんと、本当にJリーグ(当時J2)に昇格してしまうのです。
その年の天皇賞で、J1王者の横浜Fマリノスを撃破するという別の奇跡を引き連れて。
今では、JリーグもJ1からJ3までの3ステージがあり、全部で55クラブまで増加しています。
毎年のように、Jリーグを戦力外になった選手をかき集めた「おらが町クラブ」が、JFLからJリーグに昇格しています。
しかし、それを最初にやってのけたフロンティアは、ザスパなのです。
「そう、強く思い続ければ、夢は叶う。」
「誰が何と言おうと、やりたいことはやりたいと言い続ける、将来はそんな大人気のないアホなおっさんになろう。」
その翌年、私は会計士試験に合格して監査法人に就職した。